INTERVIEW 04

「働く人が誇れる会社にしたい」
─ 「梅や」の4代目社長の新たなる展望

横浜梅や CHICKEN EVERYDAY
有限会社梅や
代表取締役社長 山下 大輔さん

Photo by O.Mase

横浜・関内駅近くの中区吉田町にて、地元民に愛される鶏肉専門店「梅や」が、2023年2月、横浜ベイクォーターに「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」を出店した。作りたてのチキンブリトーやカオマンガイが店内で食べられるほか、テイクアウトやデリバリー注文にも対応している。23歳で家業を継ぎ、現在4代目社長として奔走する山下大輔さんに、代々続けてこられた秘訣、これまでの果敢な挑戦と今後の展望についてお伺いした。

創業110年の鶏肉専門店が新業態をオープン

Photo©UMEYA

横浜ベイクォーターの3階にその店はあった。鶏をモチーフにしたポップな看板が目を引き、立ち寄りやすい雰囲気だ。

大きなショーケースにはさまざまな部位の焼き鳥が所狭しと並んでいた。カオマンガイ、大山どり親子丼、ケイジャンチキンライスなどの丼・ご飯ものや、チキンブリトーも注文でき、店内のテーブル席やテラス席で作りたてを食べられる。テイクアウトやデリバリー注文にも対応していて、店員たちが笑顔できびきびと働いていた。

今年(2023年)2月にオープンした「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」は、老舗の鶏肉専門店「梅や」が運営する、鶏肉専門の飲食店だ。社長の山下大輔さんは4代目。23歳で入社し、昨年、社長に就任した。

山下さんそもそもは曽祖父が東京・入谷で始めた、鶏の卵を売る「武蔵屋」という店でした。跡を継いだ祖父が、結婚を機に食肉販売へと参入。ドラム缶に鶏肉を入れ、行商先の伊勢佐木町まで来て、毎日売り切っていたとか。そのころの伊勢佐木町は国内外からあらゆるモノが集まるとても栄えた街で、鶏肉もまだ高級食材ではありましたが、テーブルミートとして少しずつ受け入れられてきていたんです。

その後、横浜・伊勢佐木町の漬物店「梅屋」の軒先を間借りし、「梅屋の鶏肉」と呼ばれたことから、屋号を譲り受け、横浜・関内駅近くの中区吉田町に移転した。曽祖父の鶏卵販売店から、祖父、3代目の父、4代目の山下さんと受け継いできた「梅や」は、今年で創業110年を迎える。

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美味しい鶏肉を新鮮なうちに食卓へ

「梅や」の鶏肉が地元民に愛される理由のひとつは、鮮度の良さだろう。店は年中無休で、宮崎県などの産地から毎日直送される鶏がすべて手作業で即日解体されている。ショーケースには地鶏や銘柄鶏、希少部位が並び、焼き鳥や唐揚げなどの手作り惣菜も人気だ。

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産地のメインは、宮崎県の児湯食鳥(こゆしょくちょう)だ。山下さんは大学卒業後、ここに1年勤めていた。

山下さん高校3年生で「家業を継ぐ」と父に伝えていたんです。しかし、大学1年生のときに当時42歳だった父が急逝し、それまで店頭でのレジ業務や事務処理などしかやってこなかった母が社長を継いだ。ところが「鶏」については父親以外、誰も把握していなかったんですね。だったら「自分が誰よりも詳しくなろう」と、鶏の生産から販売まで行う児湯食鳥に就職しました。

どうやって鶏が生まれるのか、育成の最中にどのような苦労があるのか、いくらで取引されているかも含めて学んだ。

生産現場でのスケジュールも多忙を極める。鶏は雛から育てて50日前後で出荷し、残りの10日間で鶏舎内をくまなく清掃・消毒してから、またすぐに雛を迎える。死んだ鶏がいると病気が発生するのでこまめに確認し、台風がくれば水漏れ対策に駆け回る。

山下さん健康で安全な鶏を生産するのに、さまざまな手間と時間がかかっていた。児湯食鳥での経験がなければ、「生産者からできるだけ安く仕入れよう」という考えになっていたかもしれません。生産者から適正価格で購入することで、彼らも経営が持続可能となる。健全な流通、健全な価格こそが、長く続いていく秘訣なんです。

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入荷した鶏を即日解体、即日販売するのも、できるだけ早く安心・安全な食品を消費者に届けたいという思いからだ。祖父の代から続くこの方法、だが、言うほど簡単ではない。

実際、山下さんの祖父はさまざまな挑戦をしてきた。40年前には神奈川・秦野に工場を建てて鶏を飼い、それを横浜で精肉として販売していたという。しかし、畑ばかりだった秦野に人が移住しはじめ、臭いや音の問題が出てきた。

さらに、鶏肉生産を手掛けると一羽丸ごと売り切れないという課題も出てくる。当時はモモ肉が人気で、ムネ肉は売れ残った時代であり、モモ肉を売る枚数を賄うための数の鶏を飼い、余ったムネ肉は捨てていたそうだ。

山下さん挑戦しても、時代に合わなくなって持続できなくなるときがいつか来る。その際に、これまでの方法論にしばられずに、次の手を打つことが肝心です。

惣菜として販売するのも、精肉では売れにくい部位を美味しく届けるためだ。今は健康志向からムネ肉が売れる時代となった。山下さんはムネ肉の高タンパク低脂質に着目し、低温調理でしっとりと柔らかく仕上げた「パンプアップチキン」を開発。「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」でも人気の商品となっている。

家業を継いだ4代目による改革とは?

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2005年、23歳で「梅や」に入社した山下さんは、まもなく自転車操業的な経営状態を知った。赤字にもかかわらず、卸・小売ともに販売価格が安い。例えば当時の焼き鳥は80円で、原価率はかなり高かった。

山下さん他店が80円だから、という感じで、これまで誰も原価計算をしていなかったのでしょう。そこで、焼き鳥の串打ちは1時間で何本できるか、ストップウォッチで測るなどして適正価格の根拠を社長である母に示し、値上げに着手しました。売上減も覚悟しての勝負でした。

山下さんは焼き鳥1本の小売価格をまず10円上げた。消費者の抵抗感を和らげるため、商品を並べる皿やプライスカードも一新した。それが功を奏したのか、客足は増え、売上が伸びた。「梅やさんはこれまで安すぎたよ」という声もあったという。当時80円だった焼き鳥は、この17年で140円に。しかし、それでもまだ“現在の適正価格”には届いていない、と山下さんは言う。

山下さん味や仕入れ先、手で刺しているなどのこだわりがあったとしても、値段だけで見て80円のほうが選ばれてしまう業界なんです。なかなかそこから脱却できない。もっと業界全体で価格を上げていかなければいけないと思っています。

従業員がすぐに辞めてしまうという問題もあり、職場改善にも取り組みはじめた。休憩所を増やし、ロッカーを新品に変え、トイレも和式から洋式へ……。そのような改善もあってか、従業員が定着するようになった。

若手も積極的に採用。人数の増えた今はなかなか実施できないが、当時は一緒に飲みにいったりキャンプやバーベキューに誘ったりと「まず相手を知ること」を意識した。今年の4月には、大卒の新入社員が3人入社。現在の社員数は53人、パートタイマーやアルバイトを入れて110人となり、平均年齢は38歳と若返った。

さらに2018年には、ECサイトをオープン。「焼き鳥セット」や「カオマンガイ2人前セット」のようなものから、名古屋コーチン、大山どり、比内地鶏など7種の鶏肉から2種を選べる「選べる水炊き鍋セット」と、鶏肉専門店ならではの商品が販売されている。2021年には、本店の隣にチキンブリトー専門店「UMEYA KITCHEN」も開業した。

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山下さん実は新業態への挑戦は、27歳のときに一度やっているんです。綱島駅前に惣菜店を出したのですが、決定権が自分にしかないから、自分が行かないと店が動かない。それで毎日出勤していたら、本店の外食卸の営業が手付かずになってしまった。結局、店を2年で畳むことになりました。悔しかったです。

その挫折の経験から、人に任せることの大切さを知った。

山下さん今は働く人が誇れる会社にしたいですね。以前いた社員さんの話なのですが、もともとシステムエンジニアをしていて、体を壊したことをきっかけに転職し、弊社に入社したんです。その彼が、自分の両親に「梅や」で働いていることを言えずにいると知り、すごく悲しくて……。その経験もあって、働いていることを楽しいとか誇りに思ってもらえるにはどうすればいいか、常に考えています。

「町場の精肉店」からの脱却

Photo©UMEYA

横浜ベイクォーターに「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」を出店した理由は、先の「UMEYA KITCHEN」で学んだことも大きい。

「梅や」はそれまで本店と高島屋横浜店の2店舗だったが、認知度が高くて売上があった。しかし、「UMEYA KITCHEN」の客の入りは歴然と悪かった。業態か、場所か。理由を考え尽くし、「自分たちが甘えていた」ということに気がついた。

山下さん本店と高島屋に人が来てくれているのは、同じ場所で50年続けてきた歴史や文化があるから。「UMEYA KITCHEN」を知ってもらうには、広告や集客を根本から考えなくてはいけないと思いました。

「雨の日は10%オフ」などやれることは試み、少しずつだが実を結んだ。「今でも本店などに比べるとほんの小さな売上なんですけど、その一つひとつの苦労がすごく楽しくて」と笑顔を見せる。利用客もこれまでの層とはまったく違い、「UMEYA KITCHEN」をきっかけに「梅や」を知る人も増えた。

そこで山下さんは次の手に打って出た。横浜には「梅や」を知らない人がまだ大勢いる。仕事のできる若手に新規のポジションも作りたい。こうして、高島屋のある西口とは逆の横浜駅東口に「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」が誕生した。

山下さん 店舗ごとに客層がバラバラなのですが、それがいちばん嬉しいですね。ベイクォーター店のお客様の6〜7割は「梅や」を知らない。新しいお客様に「梅や」を知ってもらえる場所になり、本当によかったです。

ところで山下さんは「ECなども通じて、全国に商圏を広げ、“町場の鶏肉店”からの脱却が必要だ」と、過去の取材で語っていた。それはどのような思いだったのだろう。

山下さん 鶏の専門店は、大きな生産地と大きな消費地を結ぶ世の流通ルートから言うと、そんなに必要とされていないポジションだと思うんです。ただ、弊社は長年、消費者の方と密接に付き合って、いただいたさまざまな意見や要望を吸収し、できることは改善してきた。次はそういった声を、鶏の産地や育成の現場に届けられたらと。商売そのものには関係のない話ですが、鶏肉業界において自分たちの企業価値をしっかりと表明し、一目置かれる存在になるためにも会社づくりをさらに頑張りたいです。

その企業価値の中には、SDGs対策も入っている。いちばんに取り組んでいるのは、「つくる責任、つかう責任」の部分だ。

本店での積年の課題は、惣菜の余剰。商品をすべて売り切ると売上の機会損失になる。だが、機会損失を避けて多く作ると売れ残り、その結果、原価率が上がり、かつ廃棄ロスも生む。ちょうどよい塩梅を探しあぐねていた矢先、自動販売機で売り始めた冷凍の焼き鳥パック詰めの売れ行きに変化が起きた。

山下さん 4種類の正規価格の焼き鳥と、ランダムに選んでパックする「お楽しみ焼き鳥」──SDGs商品と呼んでいますが、このふたつでは最初は前者が売れたんです。でも、今は価格の少し安いお楽しみ焼き鳥が売れるようになって、それがすごくいいなと。たくさん作っても、急速冷凍機で美味しさを保ちながら冷凍でき、ようやくロスを削減できる仕組みが構築できました。

一方、「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」では、“ここならでは”の美味しさや魅力を試行錯誤中だ。

山下さん こちらの店は、5分待ってもらえれば焼きたてや揚げたてが出せるんです。お客様を待たせてしまうけれど、待った代わりに作りたてのものが持ち帰れる。それが本店も高島屋ももっていない、この店独自の強みなので、今後も積極的に打ち出していきたいですね。

Photo by O.Mase

正真正銘の「ハマっ子」で、横浜を愛する気持ちは人一倍強い。30代のときは8年間、青年会議所の活動もしていた。当時を振り返り、「自分ではない誰かのために時間やお金を使ったりボランティアをしたりして、いろいろなネットワークもできたし、学ぶことがたくさんありました」と笑顔で語る山下さん。しかも、「情けは人の為ならず」とはよく言われるが、実際にそのときの繋がりが仕事に返ってきているらしい。

最後に「高3のときに家業を継ぐとお父様に伝えられたのは、本当によかったですね」と声をかけると、こう答えてくれた。

山下さん 親が楽しそうだったんです。仲良しで、幸せそうだった。なんかアホみたいな理由ですけど、それが家を継ごうと思った理由です。亡くなった父に、もし何か言うとしたら、「今のところまだ会社は潰れていないよ」と伝えたいですね。

PICK UP 商品

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祖母が手がけた名物料理が復活

「とり酢」

「梅や」は関内で30年ほど「焼き鳥梅や」という居酒屋を営業していて、その店の看板メニューが「とり酢」でした。開いた手羽先をカラリと竜田揚げ風に揚げて、南蛮酢のような甘酸っぱいお酢をかけ、その上に玉ねぎとピーマンがのっているだけのシンプルな料理ですが、来店するお客様が1人1個は必ず注文する名物料理でした。味付けは祖母。「梅や」本店で売るお惣菜はこの祖母がほとんど開発し、その味を今も受け継いでいます。自分にとっても、大学時代にこの居酒屋でアルバイトをしてよく食べた思い出の料理です。「横浜梅や CHICKEN EVERYDAY」は、お酒をがっつり飲む雰囲気のお店ではないですが、酒のつまみとして食べられる一品をと考えたときに、最初に思いつきました。ぜひお試しください。

Text by Kaoru Hori   Photo©UMEYA

3F 横浜梅や CHICKEN EVERYDAY

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